覚悟した話

僕は自分のことをよくinsecure overachiever (心理的に何か落ち着かないものがあって,やたら頑張らないと生きていけない人) と形容したりします.これは概ね研究に対して当てはまる話だったのですが,最近どうやら研究だけに当てはまる話でもないような気がしてきました.研究だけに当てはまる話であれば,研究が好きなのねっていう話で終わるのですが,そうでもなさそうなので,少し取り上げてみたいと思います.今考えると3年前に経験した入院生活および手術が深く関わっていると思っています.そこで,今回は入院中に「覚悟した話」をしようと思います.少し話が重たいですが,後半だけでも読んでいただけると幸いです.

1回目の入院

2010年1月某日,大学の講義聴講中に突如として強烈な胸の痛みに襲われ,保健管理センターにて自然気胸と診断される.すぐに病院に行くように言われたので翌日病院に行き,すぐに入院することになった.気胸とは肺に穴があいて呼吸困難になる病気であるが,穴は自然に閉じたらしく,5日ほどで退院することができた.

この頃はちょうど就職活動をやってた時期(結局進学することになったが)だったので,深夜バスで眠れない夜を過ごすことが多く,疲れがたまってたのかもしれないが,結局はっきりとした原因はわからず.
#研究のやりすぎではないのがポイント
このときは,健康って大事ねってことを頭で考える程度で終わる.

2回目の入院

2010年5月某日,家で本を読んでいると突如として胸に違和感を感じる.痛みはほとんどなかったが,感覚的に自然気胸が再発したと思い,翌日病院に行くと思った通りですぐに入院することになる.

今回は疲れが溜まっていたわけでもなく,やはり原因はわからず.
#研究のやりすぎではないのがポイント
ただし,状況は1回目のときと少し違っていた.自然気胸は再発率が30-50%と高いため,このままだと何度も再発する可能性があるらしい.医師からは手術をしたほうがよいと勧められた.手術をするのは嫌であったが,何度も入院するのはツラいので,手術する決心をした.(実際には,左右両方の肺が同時に気胸になったらマズいという理由もあった)ちなみに手術してからは再発していない.

手術が終わり,全身麻酔から覚めると体中が痛んでいた.自分の力で起き上がるどころか,寝返りをうつだけで大変だった.あしたのジョーの最終回に匹敵するような状態.実際,咳をしたり鼻をかんだり声を出すことすらできないくらい体は瀕死状態で,身体は火照り熱も出ていた.たぶん人間が死ぬときってこんな感じなんだろうなと思いながら夜を過ごした(無力感や弱さを想い,少し泣いていた).それから,ちょっと大げさではあるが,人間いつ死ぬかはわからないと思うようになった.というのも,気胸で亡くなる例はいくつかあるらしく,実際高校の同級生は気胸で亡くなっている.

今まで時間は無限だと思っていた.実際に無限なわけはないが,人生の最期を日頃意識したことがなかった.しかし,死を意識して人生は有限だと気づいたとき,「普通に」生活することができなくなっていた.もし自分の余命があと1年なら何をするだろうか.思うままに遊ぶとか世界一周旅行をするとかはよく聞きそうだが,僕の場合は違った.自分が生きた証をこの世に残したいと思った.自分が死んで,そして家族や知り合いも死んでしまえば、自分が生きた事実など、この世に引っかき傷ひとつ残らないのか.そう思うと無力感しかなかった.だから,研究を頑張って研究成果を残したい,ネームバリューを高めたいと思った.

「明日死ぬと思って今日を生きる」(マハトマ・ガンジー

余談

研究を頑張ろうという発想に至ったのは,タイミング的に研究室配属されてすぐに入院・手術をしたからというだけの話なのだが,3年間頑張ってみて大した研究成果を出せなかったのは結構イタい話である.4月からは社会人生活のスタートなので,今度こそは大きな結果を出せるように頑張りたいですね.少なくとも,毎日飯を食べてやがては死期を迎えるような人生は送りたくないと思うんですよね.